ビザとボク その1 ~在日外国人向け英字フリーペーパーの広告営業マンだった頃の話~

2020年4月3日(金)

「入管取次行政書士」という仕事を知ったのは、僕が新卒で働き始めた外国人向け英字フリーペーパーの出版社で広告営業をしていた、23歳の頃でした。

当時(2004年~2007年)は、「インバウンド」という言葉すら存在していない時代で、まだ外国人向けの英字メディアは僕が働いていた出版社以外にはGaijinpot、Japan Guide、Metropolisぐらいだったかと記憶しています。
(インバウンドって、この業界の第一人者、村山慶輔さんが2010年ぐらいから浸透させた言葉かと思います)

当時2004年は訪日外国人数もまだ600万人程度(15年後の2019年には3,200万人!)でしたが、これから訪日外国人向けの事業が盛り上がっていくであろう確信を、まだ右も左もわからない新卒ながらに持っていたし、「日本」という国を外国人に知ってもらい、彼らの生活の一助になるメディアに関わっている事に大きなやりがいを感じていた事も覚えています。

リーマンショックの前で、外資系金融で働く外国人ビジネスマンの羽振りもよく、六本木ロアビル地下にあったアイリッシュパブPaddy Foley’sやドン・キホーテ近くのHobgoblin(今もあります)は毎週末外国人で溢れかえっていました。

まだかろうじて紙媒体でも勝負できる時代だったし、日本在住English Speakerも英語での生活情報や観光情報に飢えていたこともあり、外国人集客のツールとしてフリーペーパーのニーズは確かにありました。外国人向け不動産会社、国際電話カード会社、飲食店、免税店等を中心にいろんな業態から広告出稿の引き合いがあって、首都圏で生活する様々な外国人とのコネクションができたのもこの頃です。

この会社の先輩が担当していた広告クライアントの一人が「入管取次行政書士」の先生でした。外国人の就労や帰化申請のサポートをするなんて、なんか面白そうな仕事だな、とは思ったのですが、自分のクライアントではなかったので直接的な接点はなかったし、大学の一般教養で学んだ法律に苦手意識もあったので、近いけど遠い存在が「行政書士の先生」でした。

恥ずかしい話ですが、当時は行政書士は入管取次の仕事だけやっているものだと思っていて、その後行政書士受験生のバイブル「カバチタレ」を読んで、「入管業務を含めた行政手続きの法律家」ということをようやく理解したぐらいで、その後まさか自分が一念発起して行政書士になるとは思ってもいなかったでした、、、

在日外国人経済史という学問があれば、日韓ワールドカップが開催された2002年からリーマンショックがあった2008年後半ぐらいまでは、一区切りの時代として定義できると思います。まだ大手が参入するほど大きなビジネスマーケットではなく、ニッチなマーケットながら、当時の日本人マーケットよりも経済は回っていてダイナミックで面白い時代でした。この時の職場であった六本木にはいろんな面白い出来事があったのですが、それはまた機会があれば書いていきたいと思います。

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