新型コロナウィルスと戦争状態の中、戦争体験者の水木しげる先生から知恵を借りようと思った話
2020年4月15日(水)
数週間前、マクロン大統領がフランスはウィルスとの「戦争状態」にある、という発言をして以来、このコロナと人類の戦いを「戦争」と表現するメディアが増えてきたように思います。
敵であるコロナは姿を隠しいつの間にか忍び寄り、命を奪う忍者のようで、今のところ、医療関係者を除いた僕ら一般庶民が人類のためにできることは、できる限り自宅にいて感染を防ぎ、新薬の完成を待つことぐらいしかできなそうです。
「戦争状態」とTVで表現されているのを聞きながら、ふと思い出したのが、2015年に惜しくも亡くなってしまった、水木しげる先生。
先生の代表作「ゲゲゲの鬼太郎」はあまりに有名ですが、若いころ太平洋戦争のさなか激戦地ラバウルに送り込まれ、敵の奇襲で片腕を失い、壮絶な戦場の中で摩訶不思議な自然体験をしたことが、後のゲゲゲの鬼太郎を創り出すきっかけになったそうです。
僕自身は「ゲゲゲの鬼太郎」よりも、若いころの戦争体験を綴った「水木しげる伝」に、水木先生の逞しい生命力というか、仲間がマラリアで死んでいく悲壮なジャングルの中でも、食欲や好奇心を失わない楽天的な性格というか、とにかく不思議な魅力を感じて、これまでも何度も読み返しています。
日本の戦争マンガって、「はだしのゲン」とか「ホタルの墓」とか戦争の悲しさを伝えるウェットな(っていう表現が正しいかはわからないですが)タッチの作品が多い中で、水木先生の作品は、これ以上ないような悲惨な戦争体験の中で、牧歌的なおおらかさが失われずに表現されていて、そこに逆に人間の凄みを感じるというか、ああ、こんなつらいことあっても、楽しみを見いだせる人間になりたいな、と思わせるんですね。
腹が減って現地のカタツムリを焼いて食べた話とか、野豚を捕まえてようやく肉にありつけると思ったら、軍隊の下っ端だったためか、醤油汁に豚の油ひとつしか入っていなかった話とか、空腹のさなかの哀しい哀しいエピソードなのかもしれないですが、水木先生のペンにかかると、湿った話にならずに乾いた笑いになっちゃうのが不思議なものです。
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なんというか悟りをひらいた高僧のキモチというのか、
生きているというただそれだけのことが
ムチャクチャにうれしかった
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水木先生が片手を失った後、戦後に故郷である鳥取に帰ってきて、
生き延びた実感をようやく感じた時の言葉ですが、
現代の日本で生きているだけでは、なかなかここまでの境地には達しないかと。
コロナとの「戦争状態」と言われても、
実際に最前線で戦っているのは「医療従事者」の方のわけで、
家の中にいる限り、多少の不便さはあるけれど、少なくともこれまでと近い生活は送れる。
今この瞬間も事業を回さないともう資金が枯渇するから、やむにやむなく、という事情の方もいらっしゃると思いますが(それはやっぱり国が救済策を考えてほしいけど)、それ以外の方はとにかくしばらくは自宅に。
各報道を聞いていても希望が見えずに気持ちが落ち込みそうな方にはぜひ、本当の戦争を生き延びた水木先生の生命力を。