「菊池家」のルーツは九州と伊豆諸島、「菊地家」のルーツは東北!? 自分のルーツについて考えてみた話
2020年5月14日(木)
入管関係の業務以外のお仕事の柱とすべく、最近、相続法の勉強も始めた、と以前このブログで書きましたが、相続で大事なことのひとつに戸籍や親族の確認があります。
今日は僕個人のルーツ、先祖に関してのお話。
僕はキクチ行政書士事務所、というカタカナでの登録にしましたが、これは、菊池さん、または菊地さんという行政書士の諸先輩方がいらっしゃったので、新人が埋もれないようにと、あえて目立つようにカタカナにした、という背景があります。正式な漢字表記では「菊池」です。
「菊池」と「菊地」はよく混合されるし、漢字で書き間違いされることも多いのですが、聞いた話では現在「菊地」さんは東北に、「菊池」さんは九州や伊豆諸島に多い苗字だそうです。
現在、東北に「菊地」さんが多い理由は、その昔、熊本の菊池市あたりを根城にしていた武士「菊池氏」が、東北に進出したまではよかったが、東北で戦に敗れ、命を狙われることになり、「菊池を名乗っていると命が危ない」ということで、「菊池」から「菊地」に改名したそうな。
もう一方、「菊池」さんが伊豆諸島に多い理由は、江戸時代に「菊池」を名乗る武将が伊豆大島や八丈島に島流しになり、それから伊豆諸島に「菊池」姓の方が増えたそうな。
菊池姓である僕の祖父(1920年生まれ)も伊豆諸島の菊池の流れで、祖父の戸籍はなんと小笠原の母島にありました。祖父の父、曾祖父は1860年代の江戸時代末期生まれで、八丈島から母島に移住したか、八丈島で生まれたらしいという所までは僕の祖父から聞いていました。
当時の小笠原母島は、捕鯨船のアメリカ、ヨーロッパ、フィリピンの船員たちが寄港する、外国人だらけの島で、日本人はほとんど住んでいなかったそうな。
明治以降になり、欧米やフィリピン人ばかりの島に、あとから日本人が入植してくるというかなり特殊な環境だったそうです。
過去の文献を遡ってみると1862年に八丈島の役人であった菊池作次郎という方が、幕府から命を受けて、あの咸臨丸に乗り父島と母島を訪問し、移住しているそうで、この人とかその親戚が僕の先祖のルーツなのではないかと思っています。
(幕末好きとしては、あの咸臨丸に先祖が乗っていたかもしれないという話だけでも胸アツです)
八丈島や小笠原にはいまも遠い親戚が住んでいるらしく、いつか死ぬまでに絶対に行ってみたい。
NHKでもファミリーヒストリーという番組が放送されて人気のようですが、自分のルーツを調べてみるといろいろ面白いですよ。僕が南国の島国ジャマイカに住んじゃったのも、元々母島がルーツだったからなのかもしれない。